(21ページ目)俺の屍を越えてゆけ ~変な座右の銘~

なんの話だ?と思われるタイトルですね。

今回は完全な内田の雑談です。

この「俺の屍を越えてゆけ」は私の座右の銘といえる位に好きな言葉なんです。

元はプレイステーションのゲームソフトで知りました。

しかし、私はそのソフトをやったことはありません!

やったことのないゲームのタイトルを座右の銘にする奴なんか、どこにいる。と思われても仕方ないですね。

ちなみに、このゲームはタイトル通りの内容だそうです。

簡単に紹介すると

「俺の屍を越えてゆけ」は、呪いにより数年しか生きられない一族が、神々と交わり、世代を重ねて宿敵を打ち倒そうとする和風RPGです。短命な子供を育て、能力を継承させ、強大な敵に挑むという独自のサイクルが、一族の絆と儚さを描き、世代を超えた感動を呼びます。20年以上経った今も、多くのファンに愛されています。

こんな内容だそうなので、よろしければ是非プレイしてみてください。

では、本題になりますが、なぜこの「俺の屍を越えてゆけ」が私の座右の銘なのでしょうか。

今回は私の完全な雑談にお付き合いください。

人は何のために生きているのか?

おっと、小難しそうな質問が来ましたね。

とはいえ、この問いはほとんどの方が、一度は通ったことでしょう。

ちなみに私はこの問いには

人間に生きる意味など特にない

と考えています。

おぉ随分厭世的な奴だと思われるかもしれませんが、そうでもありません。

正しくは

生きる意味などは無いが、それでも意味は持たずにはいられないのが人間だと思っているだけです。

この辺りは、本職の哲学者などもたくさん生きる意味などは語っていますし、そもそもこの問題に「正しい答えなど無い」ので、割愛します。

私にとっての「俺の屍を越えてゆけ」はその意味でピッタリなのです。

人生は好きに生きたらいい。と思ってはおりますが、それでも意味を持たずに日々過ごすのは、私にとっては退屈だったり、活力が沸かないんです。

若かりし頃、ただダラダラと生きた時間もありましたが、それはそれで楽しかった部分もあるのですが、日々鬱屈としていた気がします。

とはいえ、自分自身に大層な野望や野心も持ち合わせてもおらず、何を活力にしていいのかも分かりませんでした。

そんな時にふとこの言葉に出会いました。

なぜか「俺の屍を越えてゆけ」という言葉に心をザワザワさせられたのです。

当時は漠然としていたのですが、自分自身に家庭が出来たり、不動産の仕事をする中で、この言葉に自分自身が寄っていったのです。

そうしている内に「俺の屍を越えてゆけ」が自分の中で「こう生きてみよう」という言葉になりました。

私はリレーの途中走者である

「俺の屍を越えてゆけ」

この言葉は自分が先に倒れて、その意志を継ぐ人への言葉です。

私自身は大層な野望や天下統一のようなスケールの大きいものはありません。

教科書に名を遺すようなこともないでしょうし、それにも興味はありません。

それでも私が生きたことで、少しでも社会や子どもたちが良くなればいいなと思っているだけです。

不動産業も一緒です。

今年建つ鉄筋コンクリート造の建物などになれば、平均寿命からすると、この建物の終焉など私は見ることはないでしょう。

もっといえば、土地になればもっとです。

私がいる期間など、この地球や土地からすれば、一瞬の火花のようなものです。

ただ、この期間の土地や建物を、次世代に繋ぐお手伝いをしているだけですからね。

でも、それでいいんだと思います。

現在、私は居住支援協議会の部会長という大役を仰せつかっています。

高齢の方や障がいを持つ方、ひとり親世帯など、住宅の確保が難しい方々を民間の力で支えるための組織です。

正直に言いましょう。

この超高齢化社会と人口減少が加速する日本の、そしてこの地域の深刻な難問が、私一人の代でスカッと、パーフェクトに解決するなんてこれっぽっちも思っていません。

私の力など、社会全体の大きな流れから見れば本当にちっぽけなものです。

私ごときの力で明日の朝に街が劇的に変わるわけではないのです。

では、解決できないならやる意味がないのか。

そうじゃないんです。

私の代で解決できなくても、私がここで立ち続け、失敗しながら、少しでも前に繋いでいけばいい。

私が倒れるまでにこの場所を維持し、継続していけば、いつか私の後ろから、すべてをひっくり返して解決してくれるような「本物の天才」が現れるかもしれない。

その天才が走ってくるその日まで、失敗の先駆者として、社会を途切れさせずにバトンを繋ぐこと。

それこそが、途中走者である私の使命的なものだと思っています。

こんなことを言うと、子どもがいない人は関係ない話なのか、と思われるかもしれません。

全くそんなことはありません。

子どもがいる、いないなんていう狭い話ではなく、自分の身の回りの人や、これからこの街で新しく生きていく名もなき誰かのため、それで十分だと思います。

私たちは生きているだけで、次の世代に続くバトンを全員がすでに手渡されているのですから。

よくよく考えてみたら、自分が生まれたということは、生命誕生から自分までバトンが途切れずに廻ってきた証ですからね。

途中では、どうしようもない奴もいたでしょうし、立派にも関わらず早世した人もいたでしょう。

それでも何だかんだ、自分にバトンがきたんですから。

子どもがいる、いないとかではなく、自分にきたバトンを次世代に渡してみればいいんじゃないかなと思うんです。

何も政治家になって日本を変えるとか、世界的な大発明をするとか、そんな大層なことじゃなくていいんです。

一生懸命に生きていたら、きっと次世代へのバトンになりますから。

自分の周りにいる人を、ちょっとだけ大事にするとか、ちょっとゴミを拾ってみるとか、なんでもいいんだと思います。

そういったことの全てが、次のランナーが少しでも走りやすくなるようにコースを均しておくことですからね。

いつか私が力尽き、倒れた時に、ちょっとだけいい屍(バトン)になってたら最高だなと思っています。

私は私の区間を一生懸命に走ってみようと思います。

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