(13ページ目)もっと簡単に子供を捨てられるような社会でもいい ~父娘を救えなかった社会と最後の手段とは~

もう見たくない

私は普段から「炎上」目的で発言することは極めて慎んでいる方です。

今回のタイトルは、それとは真逆の目的であることは重々承知しています。

それでも今回は炎上してもいいので、世の中で広く議論して欲しいのです。

冒頭の「もっと簡単に子供を捨てられるような社会でもいい」は私の言葉です。

それは、定期的に目にする子供の虐待死などのニュースを見た妻が、悲しそうに「どうやったらこんなこと無くなるんだろうね」という言葉の後に

私が言ったのがこの言葉でした。

この言葉を受けた妻が私を見る目は、今この記事を読んでいるみなさんのような目をしていました。

まるで「人でないもの」を見るような目でした。

この言葉には「血が通っていない」言葉ですから、仕方ないとも思えます。

それでも私は本心で「これからは、そういう社会でないと無理じゃないかな」と思っていたのです。

奈良県での悲しい事件

そうしたある日のこと、帰宅した私はあるニュースを見ました。

事件の概要はこうです。

2024年7月に52歳の男性が、5歳になる娘と奈良県のダムに無理心中として飛び込んだ事件です。

父は、就職氷河期の世代で職を転々とした結果、当時は生活保護を受給しながらの生活だったようです。

47歳のころ、娘が生まれるものの、直後に離婚し、元妻とは連絡も取れない状態だったとのこと。

その後は単身で娘を引き取り、シングルファーザーとして生活していた。

その後については何があったかは知り得ませんでしたが、追い詰められたのか自殺や無理心中を考えているとして、「子供を預かってほしい」と児童相談所に連絡したそうです。

しかし、そこでは解決策を見出すことが出来なかったのか「もういい」と連絡を絶ってしまいました。

その後男性は娘だけでも生かしたいと思ったのでしょう、年老いた80代の両親の元へ行き、娘を預かって欲しい旨を伝えたそうですが、やはり断られてしまいました。

頼るすべが無くなった父は結局、ダムへ行き無理心中をしてしまいました。

彼が最後に使ったレンタカーには、娘を預ける為に用意していた衣類や保険証、マイナンバーカードも見つかったそうです。

また司法解剖の結果、父は娘をかばうような姿勢で飛び降りたことも判明しました。

最終的には娘を殺害したという容疑で、父親を容疑者死亡のまま書類送検した。

はじまった戦犯探し

私はこのニュース自体、見るのも嫌でした。

普段からも児童虐待のニュースなどは、見ていられなくてチャンネルを途中で変えてしまうのです。

それは自分自身が子供を持つ親になったことも一つかもしれません。

そしてどんなに憤ったとしても、私自身が何も出来ない無力感からだと今は思っています。

今回の事件を受けての世間の反応というのは

  • 児童相談所は何をしていたんだ
  • この悲劇を生んだのは今の政治だ
  • 自治体は保護できなかったのか

などの批判を向けるものがほとんどでした。

私は記事を読む限りですが、関係者のほとんどは間違った対応はしていなかったように思えます。

それは年老いた両親も同様です。

齢80を超えて、今から5歳の子供を養育するというのは、現実的ではありませんし、元々本人自体も、頻繫に自死などをほのめかす言動を繰り返しており、今回も「またか」と思われるのも無理からぬことのように思えます。

児童相談所は、何度も父に連絡を取ろうと試みていたり、相談になんとか載ろうとしたようですし、おそらく現場の職員さんたちは、行動していたのだろうと推察できます。

児童相談所というのは、こういった事件で矢面に立たされますが、そもそも児童相談所は児童の保護をする機関ではありますが、今回のように「預ける」といえば聞こえはいいですが、今回の父親が求めたのは子を「捨てる」行為と何ら変わりはありません。

おそらく子供を預けることが出来たとしても、父親の自死は止めることが出来なかったでしょうから。

「捨てる」目的で来た子供を引き受ける権限などを児童相談所に渡していない以上、児童相談所を責めるのは、私は違う気がしています。

他にも児童虐待事件でも「児童相談所は何をしていたんだ」という意見はありますが、現在の児童相談所の権限では、親から虐待を疑われる子供を強制的に引きはがす権限や、強制的に面会する権限も児童相談所に付与していない段階では、児童相談所では限界があると思っております。

欧米のように児童虐待が疑われて、自治体などが子供と接触できない場合に警察などが、強制的に踏み込むような権限が無い限り、児童相談所に責任ばかりを追及することは不毛な気がしています。

また責任を「政治」や「自治体」に求めることは、この事件をひどく抽象化しているだけで、具体的な解決策から遠ざかってしまうことと思えます。

確かに「氷河期世代の問題」や「生活困窮」も原因の一つかもしれませんが、この問題は多角的かつ複雑な要因が絡み合っており、一朝一夕で解決するものではありません。

結局、誰かの「せい」にしている人たちは、こういった悲しくて見たくない現実を何かの「せい」にすることで

「自分にはどうしようもない問題だから」と諦め、自分自身を納得させようとしているのかもしれません。

もちろん、この問題を解決する術がない、無力という点については私も同様です。

だからこそ、私が思う解決策が誰かの目に触れ、議論して問題が解決へ向かってほしいのです。

子供を「託す」という選択肢をーフティネットとして

私は冒頭の言葉では「捨てる」と言いました。

酷い言葉だとも思います。

では「託す」ではどうでしょう。

世の中には子育てがどうしても「できない」「向いていない」という親がいるという現実を、いい加減認めてみませんか?

これを読んでいるみなさんには想像がつかないかもしれませんが、そういった親がいるのも事実です。

世の中から虐待で亡くなる子や無理心中のニュースが無くならないことが、その悲しい証拠です。

そういった子育てをどうしても「できない」人を「親なんだからしっかりと育てるべき」で放置しては、亡くなる子を見捨てるのと同義じゃないのかと思います。

だからこそ、どうしても子育てができないという人がいた場合

誰かに「託す」という選択肢を最後の手段として社会に用意してはどうか?と思うのです。

以前物議をかもした「赤ちゃんポスト」も同様の試みです。

つい最近、その赤ちゃんポストに預けられたという青年が現在育ち、自分のことについて話している記事を見ました。

その言葉では「どんなに時間がたっても、賛否両論はあると思う。ただ、僕自身はゆりかごに助けられて、今がある。自分の発言に責任を持てる年齢になったので、自分の言葉で伝えたい」とありました。

この赤ちゃんポストでは「匿名性」をとても重要にしており、悩みながらも来てくれたことに感謝の言葉まであるということです。

こういった対応は設立当時「安易な子捨てを助長する」「子どもの出自を知る権利はどうなるんだ」と反発も大きかったそうです。

それでも、この赤ちゃんポストがあったおかげで助かった命は多くあります。

また、その後の人生についても必ず幸せになるかの保証などは当然ないでしょうが、それでも命を繋いで幸せになる「権利」は残されています。

もちろん、託されるといえば聞こえはいいでしょうが、「捨てられた」子供は心の傷はあることでしょう。

それでも、命を繋ぎ、そういった子供を周囲が愛情をもって育てることでケアができませんかね。

どうしても立ちいかなくなり、無理心中を選ぶのなら

虐待を自分自身でも止められないのなら

最後の最後に、失われるかもしれない子供を救う受け皿を、社会が用意することは、そんなに悪いことでしょうか。

このような考えが「もっと簡単に子供を捨てられるような社会でもいい」に至った経緯なのです。

奈良県のニュースのあとにも子供と無理心中をした母親のニュースを見ました。

私のこの案が最善だとは思っていません。

自分自身でもなんと血の通っていない案だと思います。

でも、自分自身の悪い頭なりに考えた結果、これ以上の解決策はないようにも思えます。

どうか私より頭のいい方たちにお願いです。

この父娘を救える方法を、一刻も早く考えて実行に移していただけないでしょうか。

少なくとも自分自身の命よりも、娘の命を繋ごうと試みたお父さんと私に、どれだけの差があるのでしょう。

彼の命を懸けた最後の願いを、聞いてやれる社会ではダメなんでしょうか。

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