
世は大論破ブーム
昨今、ひろゆきさんをはじめ、たくさんのメディアにて「論破」が行われております。
正論をぶつけ、相手をぐうの音も出ない状態にする。
勧善懲悪であり、関係のない他人でも見ているとスカッとするものです。
タイトルとは裏腹に個人的にひろゆきさんの動画だったり、ひろゆきさんの問題解決へのスタンスはとても好きです。
動画も楽しいので見たりします。
頭の回転も早く、感心してしまいます。
しかし、この論破ブームにより巷には「エセひろゆき」が大量発生している気がします。
ネコも杓子も論破する傾向があります。
今回は毎日をトラブル解決に費やしている管理会社、不動産業者の立場から「論破」と「正論」について語ってみたいと思います。
論破することで得することはあるのか?

ハッキリ言っておきます。
社会で論破することで得する(価値が出る)のはひろゆきぐらいです。
たまに弁護士は?とか聞かれますが、弁護士さんだって相手を論破してぐうの音も出させない状況というのはごく一部でしょう。
ほとんどは依頼人だったり、相手方との調整だったり、交渉がほとんどです。
当のひろゆきさんもメディア以外の仕事で論破ばかりしている訳でもないでしょう。
もっと言えば
正論をぶつけることには価値がない
とすら思っています。
そもそも正論が通じる世の中なら裁判所も警察もいらないんです
正論というのは「正論をぶつけられても怒らない人」にしか価値がないからです。
大抵の人は正論をぶつけられるとほぼ「怒り」が出ます。
正論であればあるほど怒ります。
では、これを社会の中で実践するとどうなるでしょうか?
嫌われたり怒られるだけで得しないんです
もっとハッキリ言いましょう。
正論をぶつけられて納得する人はいない
残念ですけどね
私も若い頃は「間違っていることは間違ってると言えばいい」と思っていました。
先輩や上司、お客さんに自分の「正論なるもの」をぶつけることもありました。
しかし、それで得られる結果というのは
「オレは言ってやったぞ」という幼稚な自己満足だけでした
結果、論破された側は怒り(表面には出さなくても)、私の得なるものは消えたり、失われたりしました。
結局、みんな「恥をかかされたり」「あなたは間違ってる」「お前はバカだ」と言われて
「なるほど、自分が間違っていた、教えてくれてありがとう」とはならないんですね。
みんな自分は頭がいいと思っており、自分には能力があると思っているのです。
その為、正論というのは相手にとって受け入れがたいものになってしまうのです。
相手の面子は保ってあげよう

社会の中であなたが達成したいことは何でしょう?
論破して相手をやっつけることでしょうか?
相手より賢いと思われることでしょうか?
そうではないですよね。
自分の思った通りに進むこと
ですよね。
相手を論破することで、相手が自分の思う通りに行動してくれるなら私は論破し続けます。
しかし、前にも書いた通りですが、反応は真逆です。
論破された側は不貞腐れ、怒り、私のいうことなど聞いても貰えないでしょう。
それどころか、敵対心を持ってしまえば損得すら度外視で向かってくることすらあるでしょう。
みなさんが望むのは血で血を洗う世界でしょうか?そうではなく、あなたの得だったり、スムーズに物事が進むことですよね。
相手の面子(メンツ)だけは保ってあげないといけません。
あなたが、相手と二度と関わり合いを持ちたくなければ論破してもいいでしょう。
しかし、お客さんや関係者、家族などの関係を継続したい場合は論破しても良い結果は起きないでしょう。
それではまとめに入りましょう。
一番は気づいてもらうこと

さて、みなさんはどうしたら気分よく決断が出来るでしょうか?
「お前はバカなんだから、俺の言うことを聞いていればいいんだ」と言われたらどうですか?
私なら「バカで結構だが、お前の言うことだけは聞かん」と言ってしまいそうです。
そう、人から言われたことでは動かないものです。
だからこそ、下手に出てみてはいかがでしょうか?
相手が飲んでもらえるように材料を道に置いていくイメージです。
相手が自分でゴールに辿り着いたと思ったが、実は手のひらで転がしていた。という風に
あなたが自分のことを賢いと思うなら、導くことに使ってみてください
その方があなたの得にもなりますし、物事も上手く進みますし、何より気分も良いですよ。
私も日々たくさんの苦情や問題解決をしますが、論破することを捨ててからは物事は圧倒的に上手く進むようになりました。
理不尽なことで怒られたりすると論破したい欲求は出るのですが、グッと我慢して諭すように話すのです。
そうすると、不思議と穏やかになり、以降良好な関係になります。
これは物件を買う時にも表れます。
安く指値をしたいが為に物件のダメな部分を指摘する人は上手くいかないケースが多いものです、しかし人間性などが伝わり情の部分で値下げが通ったりもします。
論破ゲームはメディアで楽しむ程度にしてみてはいかがでしょうか?
え?それってあなたの感想じゃないの?
胸を張って言います
「私の個人的な感想なので気にしないでください」
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【台風対策】窓ガラスに養生テープは意味がない!?不動産屋が明かす本当の効果と、退去時に泣かないためのリアルな注意点
これからの季節、鹿児島に住む私たちにとって避けて通れないのが「台風」です。 テレビのニュースで「大型の台風が接近中」と流れた瞬間に、霧島市や姶良市のホームセンターから、ある商品が一斉に姿を消します。 そう、養生テープです。 賃貸マンションやアパートにお住まいの入居者様からも、この時期になると「ガラスが割れるのが怖いので、窓ガラスに養生テープを米の字に貼れば割れませんか?」というお問合せを本当によくいただきます。 SNSを開けば、綺麗に「米」の形にテープが貼られた窓の写真がたくさん流れてきますよね。 でも、多くの人が勘違いしている点もあります。 結論から言います。 窓ガラスに養生テープを貼っても、風圧でガラスが割れるのを防ぐ効果はほとんどありません。 これを聞いて「えっ、じゃあ今までの苦労は何だったの!?」とショックを受けた方もいるかもしれません。 今回は、なぜ養生テープでは風圧を防げないのかという構造的な理由と、賃貸で本当にやるべき対策、そして台風が去った後に待っている「もう一つの恐ろしい退去時トラブル」についてお話しします。 そもそも割れるのを防止するためではない そもそも、なぜ多くの人が「養生テープを貼れば風圧に耐えられる」と勘違いしてしまうのでしょうか。 それは、ガラスが「風の力」で割れると思っているからです。 実は、現在の建築基準法に基づいて建てられた一般的な賃貸マンションやアパートの窓ガラスは、よほどの大型台風であっても、純粋な「風圧」だけで割れることは滅多にありません。 養生テープを張ることで、多少は振動を抑える効果が無くは無いのでしょうが、効果は限定的だと思います。 先ほど申した通り、余程の最大瞬間風速を叩きつけられた場合には、最早養生テープではどうしようもないと思います。 では、なぜ台風の日に窓ガラスが割れるのか。 原因のほとんどは、風で飛ばされてきた「飛来物」です。 近所の家の瓦、看板、ベランダに放置された物干し竿、あるいは誰かがポイ捨てしたビニール傘、小石などの本当に小さな物。 これらが猛烈な強風に乗って、まるで砲弾のように窓ガラスに激突するから割れるのです。 想像してみてください。 猛スピードで飛んできた頑固な瓦が窓にぶつかったとき、ガラスの表面に貼られた数ミリのプラスチック製テープが、その衝撃を跳ね返せるでしょうか。 無理です。 テープにそんな物理的な防御力はありません。 じゃあ、養生テープを貼る意味は全くないのかと言われれば、そうではありません。 養生テープの本当の効果は「割れるのを防ぐこと」ではなく、「割れてしまった後に、ガラスの破片が室内に飛び散るのを防ぐこと」にあります。 つまり、風圧対策ではなく、二次被害を防ぐための「飛散防止」が本来の目的です。 これを勘違いして「テープを貼ったから絶対に割れないぞ」と窓のすぐそばで寝てしまうのが、一番危険なのです。 では、飛来物から身を守るために、賃貸でできる最も合理的で効果的な対策とは何でしょうか。 テープを米の字に貼るだけでも飛散防止には役に立ちますが、それでも尖った部分が落ちることは避けにくいです。 本当に対策を強化したいなら、窓の内側に「段ボール」または「プラスチック段ボール(プラダン)」を全面に貼り付けてください。 窓ガラスのサイズに合わせてカットした段ボールを、室内側から窓枠にしっかり養生テープで固定するのです。 こうすることで、万が一外から飛来物が当たってガラスが割れてしまったとしても、段ボールが防波堤となり、鋭利なガラスの破片や猛烈な暴風雨が室内に一気に流れ込んでくるのを物理的に食い止めることができます。 あわせて、台風が最接近している間は、必ずカーテンをきっちり閉めて、真ん中を洗濯バサミなどでパチッと留めておきましょう。 これだけでも、万が一の飛散時の被害を最小限に抑えることができます。 最大の注意は台風後 無事に台風が過ぎ去り、霧島連山の向こうに綺麗なお天道様が見えてきたとき、絶対に忘れてはいけないことがあります。 それは、台風が去ったら「一刻も早く養生テープを剥がす」ということです。 これを「また次の台風が来るかもしれないから」「剥がすのが面倒だから」と、数週間放置してしまう人がまぁまぁいらっしゃいます。 これが、後に退去時の大きな悲劇を生むのです。 鹿児島の日差しと紫外線を舐めてはいけません。 夏の強烈な紫外線と窓ガラスの熱によって、養生テープの「糊(のり)」がガラスの表面にガチガチに固着してしまうのです。 こうなると、手で引っ張ったくらいではビクともしなくなります。 市販のシール剥がしを使っても、窓一面に広がった「米の字」の頑固な糊跡を綺麗に落とすのは至難の業です。 実は、過去にこれで大失敗された入居者様がいました。 固着したテープをそのままにして退去の日を迎えられたのですが、通常のハウスクリーニングでは落とせないレベルになっており、結果として「善管注意義務違反」による追加の原状回復費用(ガラスの特殊清掃費用)が発生してしまったのです。 せっかく台風から家を守るために一生懸命テープを貼ったのに、その結果、退去時にお金を払うことになるなんて、あまりにも報われませんよね。 私たちは大家さんや入居者様と退去時に揉めたくありませんし、できれば気持ちよく次の新生活へ送り出したいと思っています。 ですから、声を大にして言います。 台風対策は、終わった後の片付けまでがセットです。 台風が通り過ぎたら、その日のうちに、遅くとも翌日には必ずテープを剥がしてくださいね。 家財保険が掛かっているかのチェック そして、もう一つ大事なことは、「家財保険のチェック」です。 「家財保険?なにそれ?」と思われた方は、「火災保険」といえば思い出せませんか? そうです、お部屋を借りる時に不動産屋でセットで請求された「火災保険」のことです。 多くのみなさんは、あの保険を「自分が迷惑を掛けたことを大家さんや他の入居者さんへの賠償の為の保険」と思っております。 確かに間違いではないのですが、あの保険は通常は「家財保険」と言われていて、自分自身の家財に対してもカバーしている商品なのです。 仮に台風などで水が吹き込み、ご自身の家具や家電がダメになった場合にその損害を補償してくれるのです。 ですから、台風が訪れるシーズンになったら「果たして自分は保険に加入しているだろうか?」をチェックしてみてください。 契約当初に2年で加入していたが、その後の更新を怠ってしまい、結果的に台風による損害で自身の家財道具などが全滅してしまった。というケースもありますからね。 その時になって「大家さんが何とかしてくれる」と思うかもしれませんが、余程の建物の管理に問題があるケースを除けば、原則として天災地変による損害は自己責任になってしまうのです。 正しく理解し、万全の対策を いかがでしたでしょうか。 多くの方は養生テープが「飛散防止」と理解しているかとは思いますが、改めてご説明をしてみました。 そうでないと、うっかり「養生テープしたから大丈夫」と窓のそばで寝てしまうということもあるかもしれません。 大切なのは、その対策の「本当の効果」を正しく理解し、正しく備えることです。 今回の養生テープのお話も、もしもの時に自分と家族の身を守るための本当の知識として役立てていただければ嬉しいです。 昨今、威力の強い台風が来ることも多くなりましたので、日頃からの防災を意識したいですね。
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「実家をどうする?」空き家の出口戦略と選択肢 ~売却・賃貸・自己使用のメリット・デメリット~
当社は日本空き家サポートに加盟し、空き家の管理を行っております。 最近、本当に多くの方から実家や所有されている「空き家」に関するご相談をいただきます。 先日もお越しになったお客様から、相続した実家をどうすればいいか分からない、売るべきか、貸すべきか、それともとりあえず置いておくべきか、という切実なご相談を受けました。 突然もう一つの「家」を所有することになるなど、みなさんの人生設計では考えていないですよね。 思い出が詰まった場所だからこそ、簡単に決断できるわけがありませんよね。 ネットや雑誌を開けば、空き家活用ビジネスだとか、資産の有効活用なんていう言葉がいくらでも躍っています。 でも、実際の不動産業から言わせてもらえば、そんな教科書通りの正論だけで片付くほど空き家問題は甘くありません。 それぞれの選択肢には、綺麗ごとだけでは済まない現実的なメリットと、重いデメリットが必ず表裏一体で存在しているからです。 今日は、空き家管理を行っている者として数々の現場を見てきた私の視点から、売却・賃貸・自己使用の3つの選択肢について、お話ししてみようと思います。 「売却」は完全に「終わる」ことがメリットでもあり、デメリット 空き家をそのまま手放して現金化する方法ですが、これには明確なメリットがあります。 何と言っても、手っ取り早く悩みの種を終わらせることができる点です。 所有しているだけで毎年かかり続ける固定資産税や、都市計画税の負担から一瞬で解放されます。 草むしりや建物の換気のために、わざわざ遠方から実家まで通う時間と労力も、売却してしまえばこれ以上必要ありません。 また、売却金額という収入に変えられるという点もメリットであることでしょう。 しかし、この売却には、数字には表れない最大のデメリットがあります。 それは、一度手放してしまったら、その場所は二度と自分たちの元には戻らないという圧倒的な寂しさです。 実家という場所は、家族と過ごした時間や親世代が生きた証そのものです。 それらをすべて手放す行為は、人によりますが、想像以上に大きな喪失感があることも。 手っ取り早く解決する代わりに、すべての思い出と決別する覚悟が求められるのが、売却という決断の本質です。 ちなみに売れるまでの期間は、売却希望額やその地域の需要などにもよりますが、半年から1年程度掛かると思っていただければいいと思います。 一刻も早く手放したいという場合には、相場より割安にすることで早期売却は可能になりますが、大体相場通りだったら、この位が目安です。 よくサイトなどには3か月~半年くらいと書かれていますが、それは地域需要も強く、相場もピッタリか割安な場合です。 逆に適切な広告などを出していて、半年程度で音沙汰もない場合は、相場と離れていると判断してもいいと思います。 いずれにしても、売却は「今後も活用の目途がない」「家との別れも覚悟できた」という方には、おすすめな方法です。 「賃貸」は継続収入も魅力だが、以外と重い「責任」が 次に、手元に資産を残しながら収益を得る「賃貸」という選択肢です。 相続した家を誰かに貸すことで、毎月の家賃を貰うという方法ですね。 この方法のメリットは、何と言っても毎月安定した家賃収入という継続的な果実が得られることです。 将来的に自分たちがUターンして住むかもしれない、あるいは子どもに遺したいと考えたときに、所有権を維持したまま家を腐らせずに守れるのは大きな魅力に見えます。 ところが、ここに初めて家を貸す方が陥る、最大の落とし穴があります。 一たび自宅を誰かに貸し出すということは、立場としては、あなたは「不動産賃貸業としての事業者」という立場になります。 気楽に貸して小遣い稼ぎ、という訳にはいかないんですね。 事業者である以上、入居者に対して「適切な住宅を使用させる義務」が課せられます。 つまり、雨漏りが起きれば直さなければいけませんし、給湯器やエアコンが壊れれば、それが真夏の過酷な時期であっても、大家の費用負担ですぐに対応する責任が生じるわけです。 特に親から相続した古い物件の場合、いざ貸し出そうとすると、現在の賃貸市場で戦えるレベルにするために、最初に数十万から数百万円単位の多額のリフォーム費用が掛かる場合も。 しかしながら、その事業者としての心意気さえ持てれば、継続収入やいつか誰かに引き継ぐことも可能となります。 この方法は「将来、この家の活用する可能性がある」「やはりこの土地は手放せない」という方におすすめとなります。 「自己使用」は一時だけでなく「継続」がカギ 三つ目の選択肢が、売ることも貸すこともせず、別荘やセカンドハウスとして自分たちで使い続ける「自己使用」です。 メリットとしては、誰にも気兼ねすることなく、いつでも思い出の場所に帰れる安心感が手に入ることでしょう。 身内だけの集まりや、週末の息抜きの拠点として活用できれば、これほど贅沢な選択はありません。 しかし、あえて厳しい現実を言わせてください。 その場所、本当に日常的に使いますか? 最初の数ヶ月は物珍しさで通うかもしれませんが、仕事や日々の生活に追われる中で、毎月のように足を運ぶのは至難の業です。 そして、人が住まなくなった空き家の管理というのは、想像を絶するほど大変です。 たった数ヶ月放置しただけで、部屋には湿気がこもり、カビが繁殖し、庭の雑草は隣地に越境して近隣トラブルの引き金になります。 住んでいないからといって固定資産税が安くなるわけでもなく、維持管理のコストと手間だけが自分たちの生活を削り続けます。 ともすれば、自己使用という選択は、決断を先延ばしにしているだけで、空き家問題の根本的な出口にはなり得ないケースが多くなりがちです。 とはいえ、こういった場合に有効な方法としては、当社のように「空き家管理サービス」などを活用し、日常的な管理を任せてしまうという方法があります。 宣伝です。 決断できない場合でも「管理」だけはしっかりと いずれの方法を選んだとしても、そこには必ず一長一短があり、全員にとっての100点満点の正解なんてものは存在しません。 だからこそ、みなさんに一番お伝えしたい大切なポイントがあります。 それは、どの方法を選ぶにしても「空室の期間をそのまま放置してはいけない」ということです。 どうしようかと迷っている間にも、建物の劣化は容赦なく進んでいきます。 適切な管理を怠った家は、あっという間に資産価値を失い、いざ売ろうとしたときには解体費用を請求されるような、誰にも活用できない状態の「負動産」へと成り下がってしまうのです。 今は人口減少社会であり、空き家特措法などの法令によって、放置された空き家に対する所有者の社会的責任は年々重くなる一方です。 手遅れになってから悔やんでも、プロであっても時計の針を戻すことはできません。 完璧な答えを出そうとして立ち止まるくらいなら、まずは家の命を繋ぐために、しっかりと現状を維持する管理を始めること。 これこそが、すべてのトラブルを未然に終わらせるための最善の一歩だと私は信じています。 もし、霧島市や姶良市にある実家の処分や管理で行き詰まり、自分たちだけでは手が付けられないとお悩みでしたら、いつでも私にお声がけください。 地域に根差した不動産屋として、皆様の想いと等身大の現実に寄り添った解決策を、一緒に考えていきましょう。 https://lotushome.jp/%e4%b8%80%e6%88%b8%e5%bb%ba%e3%81%a6%e3%83%bb%e3%83%9e%e3%83%b3%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%b3%e3%81%ae%e7%a9%ba%e3%81%8d%e5%ae%b6%e7%ae%a1%e7%90%86%ef%bc%88%e6%97%a5%e6%9c%ac%e7%a9%ba%e3%81%8d%e5%ae%b6/ 空き家管理のお問合せやサービスの概要はこちらへ
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一生懸命に生きた人の話 ~ある「完璧に整理整頓された部屋」~
賃貸管理というのは、本当に奥が深い仕事です。 みなさんの生活の基盤である「住まい」をお預かりする仕事。 そのため、他の職業よりも多く、人の人生の裏側を垣間見ることになります。 不動産業界に入って18年になりますが、いまだに業界内ではヒヨッコ扱いされることもあります。 それでも、数え切れないほどの賃貸管理を経験する中で、時に人の人生の岐路や、その「終わり」に直面してきました。 今回は、私が過去に出会った「名もなき人」の生き様について、少し書いてみようと思います。 一般的に、人生の輝きというと、スポーツ選手や成功者のドラマチックなエピソードにスポットが当たりがちです。 でも、世間では名も無い人たちが人生の岐路で見せた、一瞬の火花のような輝きも、私の胸を打ちました。 当然ながら登場人物は、一部フィクションなどを織り交ぜながら、決して特定されないように書いていますからね。 整理整頓された部屋 長いこと賃貸管理を行っていると、時には亡くなってしまう方が当然出てきます。 病気や事故、そして自死など要因は様々です。 人間には必ず訪れますから、私にとっては当然ではあるのですが、やはり少し思うことはあります。 「少し前に会った時には元気そうだったのに」とか「良い人だったよな」とかですね。 ただ、強烈に覚えているお部屋があるのです。 まずは原因は自死でした。 みなさん、よく勘違いされがちなのですが、賃貸管理のお仕事というと、ご遺体や凄惨な現場などに立ち会ったりすると思われがちなのですが、このご時世ほとんど、そういう現場に入ることはありません。 ご遺体などは警察などが対応してくれますし、仮に酷い現場だった場合も私たちは入ることなく、専門の業者さんに任せることになりますので、実際に管理会社として、そのような特殊な現場に入ることは基本ありません。 かくいう私もご遺体などを見たことは数える程度しかありませんし、長年勤めてくれているスタッフに至っては、そういった光景を見たことはありません。 話を戻して、一報が入り現場へ向かいましたが、その時の現場は少し変わっていました。 まずは異常なほど発見が早かったのです。 というのも、一週間に3度ほど来客がある方で、正にその日だったのです。 そして、私が一番驚いたのが お部屋がきっちりと整理整頓されていたのです。 警察官も「ここまでキレイな状態は珍しいですね」という位です。 やはり自死を選ばれる方は、バランスを崩しているせいか、お部屋が荒れていることが多く、室内は滅茶苦茶だったりします。 当然といえば当然ですが しかし、そのお部屋は、しっかりと整理整頓されていました。 宅内や冷蔵庫には生ゴミや食品などもなく、テーブルの領収書なども角を揃えてありました。 恐らく、この日を迎えるにあたって少しずつ減らしていったのでしょう。 本棚の本もキレイに揃えてあり、お金などもしっかりとテーブルに集められていました。 そして、予定通りの来客が来て、不審に思って連絡してくれるであろうことも分かっていたのでしょう。 私はそれを見て、なんとも複雑な感情でした。 この人は何か、自暴自棄になったのでも、衝動的に行ったのでもない しっかりと、後のことを考えて、少しでも周りに負担がないようにしたんだな 変な表現かもしれませんが、最後の最後まで「ちゃんと」していたんだなと たしか遺書などは無かったようだと聞きました。 その方がなぜそのような決断をしたのかは、分かりません。 でも、私はなぜか、この人は「一生懸命に生きたんだな」と思いました。 そう思えるようなお部屋でした。 その方の生前のことは全く知りませんが、人生というものに真摯に向き合っていたんだということは、ハッキリと理解できました。 そして、自分だけの責任での決断だったのでしょう。 もちろん今でも自死を肯定はしませんが、不思議な感覚でした。 私はなぜか心の中で「お疲れ様でした」とだけ祈り、お部屋を後にしました。 私の中では暗い話ではないんだけど そうなんです。 実はこのお話は暗い話や、センセーショナルな部分を書きたい訳ではなかったんです。 でも文才が無いので伝わりづらいですよね。 私は、その方をまったく知りませんが「少なくとも自分は一生懸命に生きたよ」というようなメッセージを受け取った気がしているのです。 もちろん「そんなことはない」と言われたら、そんな気もします。 また、何度も言いますが、だからといって自死を肯定もしません。 私自身も後世に名を遺すようなことはないでしょうし、それに興味もありません。 だけど、この「自分の人生を一生懸命に生きる」という点では、その方とも通じる部分があったんでしょうね。 そして、その部分は誰かに知ってもらいたいと自分は思っています。 だからこそ、名もなきその方が「一生懸命に生きた」ということを誰かに知って欲しいんでしょうか。 その方と私の違いでいえば 私は今も生き続けて、その方は別の方法だったというだけの気がします。 遠いようで、意外と近いような けれども私はこれからも一生懸命に生き続けてみようと思います。 ともかく、お疲れさまでした。 またいつかお会いできた時には、答え合わせをお願いします。
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【夢物語】私がいつか作りたい部屋
建築基準法も無視してみよう 私どもロータスホームは賃貸管理が本業です。 いつも「どんな部屋にみなさんが住みたいかなー」と日夜考えています。 便利さを追求したり、時にはデザインに凝ってみたりと色々考えています。 しかし、そんな中でもこう思うのです。 自分の趣味全開の部屋を作ってみたい と 今回はそんなロータスホームの代表である私 内田の趣味全開の「作ってみたい部屋」をいくつかご紹介してみましょう。 もちろん、小難しい建築基準法など無視です。フルシカトで作ってみましょう。 壁一面の水槽 冒頭の画像ですね。 実は私、熱帯魚が大好きです。 独身の頃はキレイな熱帯魚から、ピラニアやマニアックな魚なども飼っておりました。 当時はあまりお金もなく、高価な魚などは飼えませんでした。 現在も家族がおり、スペースや重さの関係などから飼育しておりませんが、またいつか熱帯魚を飼ってみたいなと思っております。 画像のように壁一面の水槽に古代魚などを飼うということをやってみたいと思います。 もちろん現実では、世話、清掃、装置の莫大なコスト、水の重さに耐えられる頑丈な基礎など課題は多いのですが、やはり夢ですよね 羊たちの沈黙部屋 このブログをマニアックに見ているという奇特な方はお分かりかもしれませんが、私内田は映画も好きです。 そんな私が作りたいのが映画「羊たちの沈黙」のレクター博士の独房部屋です。 猟奇的な犯罪者であるレクター博士と捜査官クラリスの奇妙な関係を描く映画です。 レクター博士自体は恐ろしい犯罪者でありながら、知性を感じさせる強烈なキャラクターで、後世の多くの作品にも影響を与えています 中でも印象的なのが、この独房です。 ガラスで仕切られた独房に立って待っているレクター博士の雰囲気は、それはそれは10代の私に強烈なインパクトを残してくれました。 そんな部屋もいつかは作ってみたいものですね。 ただし、トイレの横で眠るという、正に拷問的な配置は長期空室待ったなしです。 そもそも借りたい人いるんですかね。 マンガの為だけに 私、マンガが大好きです。 時間がある限り、没頭したくなる時も多々 読むジャンルも幅広く、面白ければなんでもいいです。 そんな私の夢はマンガの為だけの部屋です。 壁一面に所狭しとコミックを並べ、座り心地のよいソファと、そばには飲み物とお菓子が入る冷蔵庫 こんな所が出来たなら、一生出てこれないかもしれません。 音楽もいらない TVなどもってのほか ただただ一人で集中してマンガを読み続ける なんて贅沢なんでしょう。 とても楽しい さて、今回はこの辺にしておきましょう。 まだまだ作りたい部屋はあるのですが、キリがありません。 実は最高のお部屋というのは、絶対に「利便性」の反対側になると思っています。 趣味と刃物は、尖れば尖っただけ刺さります。 このアンバランスで歪な物ほど、なぜか人間の心をつかんで離さないんですよね。 今回は私の趣味でしたが、いつかお話する機会があれば、あなたの趣味全開の部屋を聞かせてください。 またいつか書きたいものです。
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経営者は孤独、という言葉に酔っていないか? ビジネスの失敗=人格の否定ではない、私自身への手紙
経営者は孤独だ、とよく言われます。 夜中にふと目が覚めて、借入金の残高や、今後の社員の給料、あるいは先行きの見えない景気の動向や未来を考えると、胃のあたりがギュッとなる感覚はあります。 私くらいの規模の経営者でもそう思うことがあるのですから、もっと規模が大きくなったりすれば、そのプレッシャーは想像もつかないだろうな、と考えたりもします。 確かに、相談できる人が周りにいたとしても、この特有の不安感やプレッシャーというものを気軽に打ち明けることは難しいものです。 最終的にすべての責任を取るのは、自分一人だけ。 そういった重荷を一人で背負い続けるという意味で「経営者の孤独」というものは確かに存在するのかもしれません。 でも、最近もう一つの視点で思うこともあるんです。 これは本当に、経営者にしか分からない孤独なのだろうか。 また、「経営者の孤独」という言葉に自分たち自身が縛られすぎて、必要以上に自分を追い込んでいないだろうか、と。 今日は、私が感じている「仕事」というものについて、少し肩の力を抜いてお話しできればと思います。 誰もが「自分の戦場」で孤独に戦っている 「経営者は孤独で大変ですね」 たまに、こんな言葉をかけてもらうことがあります。 そう温かい声をかけてもらうと、正直なところ救われる気持ちになります。 何だか自分が「戦地へ赴くヒーロー」のような扱いを受けている気がしてくるからです。 よくぞこの苦労を分かってくれた、と内心で鼻高々になっている部分もあるのでしょう。 ただ、ふと考えてみたのです。 「あれ?でも独立する前の自分って悩みや不安、孤独感なかったっけ?」と 思い出してみれば、サラリーマン時代も日々悩んだり、不安になったり、強い孤独感を感じていました。 当時の仕事のプレッシャー、家族の将来、自分自身の限界や将来、先行きの見えない社会、健康や体調、お金、人間関係などで眠れない夜を過ごす。 おや?眠れない夜もあったのも変わらないのではないか? 『いやいや、それは単に悩みやすいだけで、経営者になれば、従業員の家族まで、背負っている人数なども違うんだよ』 『経営者は誰にも変わってもらえないプレッシャーが特別にあるんだよ』 確かに、一理あるかもしれません。 例えば「悩み」というものを、動かしている金額や人数をベースにして換算するのであれば、そう言えるでしょう。 「自己破産する可能性だってある」「自分が間違ったら多数の人を路頭に迷わす」 金額や人数をベースにして悩みを換算するのであれば、一般的には経営者の方が悩みは深いともいえるでしょう。 それでも、よくよく考えたら金額の大小は悩みの本質とは無関係な気がします。 なぜなら、金額をベースに悩みの大小を決めるとしたなら、多くの経営者の悩みはイーロンマスクや孫正義という超巨大企業の人と比べるとちっぽけな悩みということになります。 それでいいのでしょうか。 もし「金額や人数が小さいからお前の悩みは大したことがない」と言われて納得できるなら、経営者の孤独なんてたかが知れていることになります。 仮にそうだとしても、何の解決になるんでしょうかね。 また、そこまで極論でなくとも「自分が失敗したら全てを失うかも」という点では、経営者か否かで、そんなに変わりはないともいえます。 私は、かつて麻雀の神様とも呼ばれた作家、阿佐田哲也氏の言葉が、この悩みの本質を突いていると思っています。 たしか、こんな言葉でした。 「レートが高いから偉いのではない。その人間が、逃げ出したいほどの恐怖を感じる金額を賭けているかどうかが勝負なのだ」 「10万円で震える奴もいれば、1億で笑う奴もいる。だが、そいつにとっての『最後の一枚』を賭けた時の孤独は、金額に関わらず同じだ」 私は、人の悩みもこれと同じだと思っています。 「破滅」や「後がない状況」がよぎる局面において、人が感じる孤独や不安の純度に、金額や人数は関係ありません。 上司との人間関係に悩み、家族の将来を思い、この混沌とした社会情勢、自分自身の健康や病気などに眠れない夜を過ごす。 それは、経営者が資金繰りや経営に悩むのと、本質的には同じ「人生の重み」だと思うのです。 数千億円の負債も、個人の住宅ローンも、それが当人にとっての「破滅」を意味するなら、そこにある絶望の深さに違いはありません。 そう考えると、経営者だけが特別に孤独で、特別に不幸なわけじゃない。 こういう結論になってしまうのです。 それぞれ「自分の選んだ道」ではある 少し厳しい言い方に聞こえるかもしれませんが、今の私の正直な気持ちを言えば、経営という仕事は「自分で勝手に始めたこと」です。 誰かに強制されて起業したわけでも、無理やり借金をさせられたわけでもありません。 「よし、やってやろう」と決めたのは、他でもない自分自身です。 そうして自分自身で選んだ道なのですから、「経営者は孤独だ」とか「サラリーマンの方が楽だ」というのは、少し被害者意識が強いのではないか、と感じてしまいます。 自分で勝手に出場を決めたマラソン大会で、「走るのがキツい、足が痛い、誰も助けてくれない」と泣き言を言っているようなものです。 沿道の人は応援してくれるかもしれませんが、代わりに伴走してくれるわけではありません。 でもね だからといって、「悩むな」とか「大したことじゃない」と言いたい訳でもないんです。 そうではなくて、経営者だけが特別に孤独で、特別に不幸なわけじゃない。 だからこそ、自分だけが重荷を背負っていると考えるより、「みんなそれぞれ大変だよな」と捉えるほうが、ずっと救われませんか。 そう思えると、なんだか少し、世の中の人たちと「戦友」になれたような気がして、孤独感が和らいでいくのを感じます。 現代社会は、誰もが何かしらのプレッシャーと戦っている「大変な時代」です。 自分だけが苦難の道を歩いているのではなく、今日も世界の誰かが自分と同じように歯を食いしばって歩いているんだ。 と思うことで冷静になって欲しいのです。 なぜそうすべきかというと そう思わないと自らの道を絶ってしまう人が多いからです 成功も失敗も人格とイコールではない 経営をしていれば、本当に余裕がなくなる瞬間はあるでしょう。 資金繰り、トラブル、従業員の問題、先行き、事業の失敗など悩みの種は尽きないと思います。 私も少しは分かると言いたいですが、その悩みを本当に理解することは家族でも簡単ではないことでしょう。 そんな時にはきっと、頭の中が真っ白になって、周りのすべてが敵に見えるような時なのでしょう。 色々なデータはありますが、経営者や個人事業主などの自殺率は2~6倍程度とやはり高い水準だそうです。 少し前の秋田県での調査では、以下のようなものが要因としてあげられるそうです 中小企業経営者の特性 経営と資本が分離していない 社長や家族が連帯保証人である 破産や倒産によって自宅や財産の全てを失う ステークホルダーが大勢である 地域の町興しのリーダーなどである 自己実現の夢を追い求める 一国一城の主意識がある 決断力が強い 名誉、信用、プライドを重んじる 弱音をはかない 後半の要因などは皮肉ですよね。 本来は長所と思われるような部分により、結果的に自分自身の道を絶ってしまうのですから。 実は今日書きたかったのは、この点なんです。 私の周りでも、残念ながら事業が上手くいかなくなり、倒産された方もいました。 そんな時に、無関係な人達は後から 「俺はあそこはヤバいと思ってた」「あそこの社長は〇〇だったから」などと無責任な後付けが飛び交います。 まるで失敗したのは全て社長の人格や能力の無さという風潮ですね。 もちろん、一部にはそのような要素も含まれることはあるとしても、全てではないハズです。 極論ですが、私はビジネスでの成功も失敗も「人格」とは無関係な気もしています。 真っ当に頑張ったからといって必ず成功するわけではないし、失敗したからといってその人の人格がダメなわけでもない。 ビジネスの結果は、運や時流、タイミングといった、自分ではコントロールできない要素にも大きく左右されます。 数年遅ければ大成功していた、あるいは数年早ければ倒産しなかった。 そんな話は、この世界には山ほど転がっています。 自己責任だからこそ 誰かに強制されて社長になったわけでも、無理やり借金をさせられたわけでもありません。 「よし、やってやろう」と決めたのは、他でもない自分自身です。 でも、これは自分を責めるための言葉ではありません。 むしろ、「自分で決めたことなんだから、周りの期待や世間の目に過剰に反応しなくていいんだ」という、自分を自由にするための言葉なんじゃないでしょうか。 誰かに頼まれたわけじゃない。 だから、教科書通りの「立派な社長」を演じる必要もありません。 経営をしていれば、本当に余裕がなくなる瞬間がくることでしょう。 通帳の残高が減っていき、頭の中が真っ白になって、周りのすべてが敵に見えるような時です。 そんな時、どうかこれだけは忘れないでください。 お金がなくなることは、単に「お金がなくなった」という事象に過ぎません。 あなたの人間としての価値や、これまで積み上げてきた努力が否定されたわけではないのです。 例えば会社をたたむことになったとしても、それは人生の敗北ではありません。 今の日本では、命まで取られることはありませんし、やり直すチャンスは必ず用意されています。 そもそも、先の例でもある通り、経営者だから無条件に偉い訳でもないでしょう。 もう一度経営を志す気持ちがなくても十分じゃないですか。 誰に強制される訳でもないんですから。 私自身は、ようやく今年で5年を迎える若輩者です。 そんな私の言葉では説得力はないかもしれませんが、一旦落ち着く手助けになればいいなと思います。 長くなりましたが、あなたの苦しみはひょっとしたら、みんなも同じような不安や孤独の中、ギリギリのカラ元気で明るく見せているだけかもしれませんよ。 それでも、どうしてもダメな時には「一生懸命頑張ったけど、ダメだったな」と明るく諦めてみませんか。 私はそんなあなたのことを決して笑ったりしません。 今回の記事は、私自身の「雑談」であり、未来の自分への手紙でもあります。 私自身も経営者の端くれで、これからどんな苦境が待ち受けているかも分かりません。 今日まではたまたま運が良く、一年ずつを生き延びているだけかもしれませんからね。 いつか私が、本当の孤独に震えてしまった時。 この過去の自分の考えを、未来の私が読み返して、「ああ、そうだったな」と思い出してほしい。 自分の為にも書く記事は、これが初めてかもしれませんね。 次回からは、もっともっと、どうでもいい、しょうもない内容を書いていこうと思います。 だから、これを読んでいるあなたも、たまには見に来てもらえませんか?





